ペットとの愛しき日々 (1)飼い主は走る

 黒猫は男とその妻の2人で生活していた。猫は高齢、妻は男と同じ年、それぞれ65歳を超えているから「高齢者」の枠でくくられる。高齢猫に高齢カップルのファミリーであった。猫を巡って男と女の間には深い溝があった、という訳ではない。しかし猫への接し方は大いに違いがあった。猫可愛がり、というのは男、「毛が飛ぶから近寄りたくない」と主張するのは妻。となると、接し方に差が出てくる。居間に入ろうとしている猫に気付くとスリッパを履いた足で猫を押してドアの外に出すのは、もちろん女、「何をする」と怒らず、様子を見て、ひと呼吸置いてから、ドアの外にいる猫を抱き上げ、小声で「酷い女だね」と猫に話しかけるのは男、といった具合だ。
 男は定年退職後、実母の介護に専心すること、1年2カ月、葬儀を終えた直後、後輩からお呼びかかり、在職していた会社のOB職場に月13回のペースで通っていた。退職者30人ほどが働いている。平均年齢は70歳ぐらいか、肩肘張らない穏やかな先輩ばかり。楽しいオフィスであった。
 その日、男は職場にいた。東京・府中市、多摩川べりに建つビルの6階にある。バソコンに向かいキーを叩いていた。気がかりなことがあって、朝から仕事に集中できない。窓際に足を運び、川の流れを眺めて気分転換を図るが、心配事がたびたび脳裡をかすめる。夕方、「本日はここで切り上げだ」と椅子から腰を上げ、いつもより30分早く職場から離脱することにした。
仕事場はバス路線から外れているので、従業員専用のシャトルバスが出勤時と帰社時に最寄りの府中本町駅まで往復運行している。男は慌ただしく玄関口に出て、夕方便では最も早い出発のシャトルバスに乗った。利用者は彼一人であった。シャトルが駅前で停止するやいなや、飛び降りるように車外に出て小走りに改札口に向かった。
 先輩の一人が通勤時の注意を与えてくれた。駅など人の往来が激しい場所では先を急ぐ若者との衝突を恐れつつ、ゆったりと歩くこと、階段は転倒が怖いから一段ずつ足を運ぶこと、雨の日は滑りやすいので、特に足の運びを慎重にすること、などなど。普段はこの教えに忠実に従っていたが、この日は、この「高齢者ルール」に構っていられなかった。
改札口は高台にあり、階段、エスカレーターか、エレベーターで下のホームに出る。男はエスカレーターに乗り、ここでも走った。発車を知らせるベルが鳴る。ドアが閉まる寸前の武蔵野線に飛び乗った。2駅目の西国分寺で中央線に乗り換える。この駅の武蔵野線ホームは高架、同線と交差している中央線ホームは下にある。男は階段を駆け降りると、タイミングよく中央線の列車が滑り込んできた。東京行の急行である。時間距離で20数分、下車駅の阿佐ヶ谷駅に着く。ここもまた高架のホームである。このホームでも、階段を駆け下り、南口改札口を走り抜け、商店街へ出た。商店街は駅から青梅街道までゆるいカーブを描いて伸びている。男は両脚の回転を速くして前へ、前へ。
商店街の真ん中辺りに地蔵がある。いつもならここで右折して家に向かうのだが、この日はさらに直進した。目的地は食品スーパー。妻に連れられてよく足を運んでいる。フロアーは夕食の食材を買い求める女性客で賑わっていた。男はレジ際に積んである買物籠を手にすることなく、牛乳を並べている棚を探した。妻と来ていると言っても女房の背中を見ながら頼りなげにノコノコと籠を持って付いて歩く、単なる運び役に過ぎない。妻は自身が寝込んだ場合、夫が自ら厨房に立つだろう、その際に食材を手当て出来るようにと連れ歩く。だが、男にとっては妻とのお付き合いといった感覚だから主体性はゼロ。自分で料理するための食材探し、という積極さはない。どの棚にどんな商品が置いてあるか、商品の配置などは一切頭に入っていない。
気が急くと、たいてい、近道するつもりが遠回りしてしまうのが、この男の癖である。この時も牛乳を手にするまでフロアーを一周していた。パック入り牛乳はいろいろあって選択に手間取ったが、千ミリリットル、178円のものに決めた。牛乳は自分や妻のためでもない。愛猫のためである。
猫は胸の一部を除いて全身、黒毛で覆われたメス。長い尻尾が特徴だった。呼び名は三つある。「ルソー」「ルル」「ル~ちゃん」。
フランスの啓蒙思想家「ジャン・ジャック・ルソー」からとった。この人物は男性である。何となくチグハグである。とんだ勘違いがあってそうなってしまった。ともかく、3つの名前、どれを呼ばれても自分の名前と認識して尻尾を高く掲げたり、くゆらしたりして反応する。他家の猫がそうであるかはわからない、のではあるが、飼い主から見ると、人間がその折々の気分で使う3通りの呼び名、どれを使われても彼女は対応できる能力を持つ、ということは「天才的な猫」であるからだと思われるのであった。親バカならぬ飼い主バカと言える。この天才的猫が極度の食欲不振に陥っていた。
ルソーの食事は1日3回、朝夕各1回である。この家では市販の餌を与えていた。固形のドライと缶詰のウェットの2種類。猫は1年ほど前からドライよりウエット・タイプを好むようになっていた。猫は「しらす入り」「まぐろミックス」など3種類を順番に与えられていた。
食欲は旺盛、朝食を要求して午前5時から6時には鳴きだす。もっとも反応がないと飼い主への注意勧告は済んだと思うのか、これ以上鳴いても無駄と諦めの心境になるのか、静かになって、家人が行動を起こすのをじぃ~と待つ。
夕方も午後5時前後から鳴き始める。人間側の帰宅が遅く夕食時間が7時や8時となると、彼女は自分の声帯のスイッチをひねって音量をひときわ大きくする。鳴き声は唸り声のような音調に変化する。その結果、家人は抗議されているのだろうと理解する。
それほどの食欲が突然衰えたのだった。3日前から餌を1口か2口しか食べない。鳴き声もか細くなった。
男は朝夕、食事に夢中になっている猫の毛をすいてやっていた。年齢の影響もある。背骨がゴツゴツとしてきた。食欲の衰えがゴツゴツ感を激しくしているようでもある。抱き上げると日に日に軽くなっている。全体に痩せてきていることは間違いない。飼い主はうろたえる。しかしオロオロしていても始まらない。何とかしなくてはならない。
妻が愛猫を亡くしたばかりの友人から貰ってきたスープ状の餌を与えてみた。魚介のスープだ。日本産ではなくタイ産。時は円高時代、輸入品だが輸送費用が加算されても、国内生産より安く済むのだろう。宣伝文句によると。丁寧にじっくり煮込み、魚介の旨みを濃厚に溶け込ませたという。「ご褒美」や「お食事の素敵なアクセント」と麗々しく紹介されている。
飼い主の目的は「褒美」や「素敵なアクセント」ではなく、何とかして、この猫の食欲不振を打開したい。その1点につきる。切実な願いであったが、効果は初回だけ。残念ながら2回目は2口ほど舌を浸した程度で終わってしまった。ならば次の手はないか?
ルソーのかつての飼い主は4年前に79歳で他界した男の実母だった。2階に猫と同居していた。母親は猫の食欲が少しでも減退すると、すぐに行動を起こした。愛猫家にとって定番のマタタビは当たり前、それが効果を示さなくなると、地元の商店街の裏道までくまなく歩いて店という店を物色、男とその妻が見知らぬ店を見つけて、様々なキャット・フードを買っては与えていた。晩年になっても衰えを見せなかった健脚、それが大いに生きていた。しかし食欲回復に顕著な効果を示したのはいつも牛乳であった。
この牛乳が問題であった。母親は牛乳を買い出しに行くことなく1階台所の冷蔵庫から取り出していた。1階は男と妻の居住区であり、この冷蔵庫に収納された各種の食材の差配は、本来、男の妻、母にとっては嫁の権限であった。
嫁の方は「無断で使われた」と不満を持つ。母親の行為は嫁と姑の間の悶着の種となった。両者の間に挟まって苦境に立つのは息子…という、どこの家にもありがちな状況を作り出す、のではあったが、母親にとっては悶着も息子の苦境も眼中にない。飼い主の立場では、なにより愛猫が優先順位第1位。それが解決すると、嫁の不服顔にも気づかず「お蔭で、ルーちゃんの食欲が戻った」と安堵の表情で報告していたものだった。
男は、このことを思い出して牛乳を買った。冷蔵庫にもあるのだが、母亡きあと妻との悶着は避けたい。猫用に特別に買って帰宅の道を急いだ。(次回は「猫の出迎え」)

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